2015年1月16日金曜日

私は眠ることが好きだ。
神経が切り替わり、クローズする。
眠る瞬間のまどろみはたまらない。
たまに、身体は眠りについているが、頭が眠りについていなく、金縛りのようなものにあうこともあったが、最近はそういうことがなくなったなと思う。
そんなことはまぁどうでもよくて、前から眠ることが好きで、時間さえあればよく寝ているような気がする。
なので、今も何もしなくていい日は大抵布団の中で過ごしている。
うだつの上がらないという罪悪感に後から襲われるがいたしかたない。

話は変わるが、ふと、寝ているときの夢のことを考えてみた。
眠ったら大抵夢を見るが、私が記憶している夢は霧がかかっていることが多いことに気づいたのだ。
なぜ霧がかかっているかはわからない。
だが、特段気にしていなかった。
そして、覚えている夢というのは、悪夢が多い。
詳細には、覚えていない。というか、無意識で忘れるように努力したんだと思う。
霧がかった中であまり気持ちのよくない夢という後味だけがある。

夢と現実とはよく言うが、眠って夢を見るということは現実逃避だと思っている。
現実逃避したいからこそ、よく寝ていたという節もあることを認める。
また、もちろん見る夢全てが、後味の悪いものではない。
ただ、後味の良し悪しに関わらず、とにかく「霧がかかっている」というのが引っかかるのだ。
しかしながら、霧がかかっているということを特段嫌いなわけではない。
むしろ好きな方だと思う。
だから、曇っている日や雨の日、目の前がなんだかグレーに見える日。
懐かしくも不安定な感覚に陥る。
これは現実なのか、夢の中なのかと。

実は、グレーが好きなのかもしれないと、最近気になっていた。
白でも黒でもなく、また鮮やかな色というものでもない。
私自身がグレーなのか、グレーとは何か、ただ、何かハッキリした色でないということがいい。
それをいいと思えるようになった。
ただ、夢は現実を写す鏡でもあるということを忘れてはならない。

とにかく、もっとそういう演奏を目指してみようと思った。
今日はその一歩。
ぶつ切りの時系列もない夢のような空間。
そんなことをもう少し続けてやってみよう。
いい課題が見えたと思う。
今日に感謝。
ありがとうございました。

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