ただの夏の音が、ただの夏の音ではなくなってしまった。
こうなることは録音した時点では想定外だった。
音が単なる音ではなく、そこに思い出という個人的な意味があると、こういうことになることもあるのかと…
さて、明日の音はどうしようか…
しかし、こんな時だからこそ去年の夏の音は絶対使わなきゃいけないような気がする。
きっと、それを無視して何もなかったかのようにしてはいけない気がする。
明日はジュディスさんと一緒に演奏することが主であるが、自分の意識はそこにいられるのだろうか?
そりゃ、悲しみには慣れていないから悲しみにはめっぽう弱く、辛い。。
だけど、自分のことを応援してくれ、可愛がってくれていたわけだから、彼のために一生懸命やります。
どうかどこかで見ていてください。
ありがとう。
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